#47  東京で一番最初の市民共同発電所「こだいらソーラー」

「省エネで暮らす未来を築こう!」と、消費者・新電力・市民電力の三者連携を推進する都甲公子さん。NPO法人‟こだいらソーラー”の代表を務める都甲さんは、市民にエネルギーの大切さを知って貰おうと小平市で太陽光発電の普及活動に取り組み続けるとてもパワフルな女性です。
――――電力自由化から約一年。電力選び保留中の皆さんも、勿論そうでない皆さんも、今ここで改めて都甲さんのリアルな声に耳を傾けてみてはいかがでしょう?私たちの生活や地域にヒントをもたらす何かが隠されているかもしれませんよ。

こだいらソーラーの目指すもの

―こだいらソーラーって何人くらいで運営されてるんですか?

都甲さん(以下、都甲):会員は50名ほど、10人ほどの理事会メンバーで運営しています。

―自然エネルギーを推進し、太陽光発電日本一をめざすと掲げている小平市ですが、その中でこだいらソーラーはどんな役割を担っているんですか?

都甲:私たちはエネルギーの地産地消を進めたいと思っています。できるだけ多くの市民の理解と賛同を得て、できるだけ多くの太陽光発電所を市内に設置したいんです。だから、太陽光発電パネル設置の促進活動は勿論のこと、まずはその重要性に気づいて頂きたい!
なので、市民の皆さんに太陽光発電を知って貰うイベントを開催したり、専門家を招いての講演会を実施したりもしています。

―自然エネルギーへの国民的な関心は高まってきていますか?

都甲:震災後、市民の中で脱原発と再生可能エネルギーを求めるニーズが高まりましたよね。市民がお金を出し合って地域に太陽光発電所を作ることは、自分たちが使うエネルギーのことを自分たちで考えていく点にも意義があると思うんです。
それに、私たちのような小さなエリアでの実践が成功すれば、他地域でも同様の試みがなされるでしょ?そうして、エネルギーシステムに変化が生まれればいいですね。

都内初の市民共同発電所

―そもそも、こだいらソーラーはどうやって始まったんですか?

都甲:私は設置者だったんですよ。自分の家に載せようよ!載せた人同士で情報交換しようよ!って設置者のグループを作ってました。でも中々広がらなかった。
そんな時に東日本大震災が起きたんです。それで市民の意識がぐんと上がって、地域で地産地消のエネルギーをやろうって本格スタートしました。
滑り出しは順調で、東京都内の出資型の市民共同発電所の第一号はうちなんですよ!

―一般的に多い寄付型ではなく、市民投資型なのも大きな特徴ですよね?

都甲:そうです。市民共同発電所作りには長い歴史があるんですけど、今まではどうしても採算が取りづらかった。それが震災後の再エネ特措法によって、翌年から固定価格買い取り制度が始まったんです。それが追い風になって、出資型のスキームができるようになったんです。

―やはりお金集めには苦労しましたか?

都甲:ずっと前から活動している団体さんは大口の投資があったりするみたいですけど、、うちなんかは、小口の人を数多くって感じなんです。
というか、「一緒に作りましょう!」「はいわかりました」てなって、そこからやっと出資のお願いの資料をお渡ししたりとか、そんな順番なんで時間もかかるし、やはり苦労しました。

―具体的にはいくら必要なんですか?

都甲:一号機の時は500万です。設置コスト1kW40万円の時代で、一号機は12kWだから500万円。
その内120万円は補助金が貰えたので、残りの380万円を集めました。

―今、集合住宅の方々はその電気を使ってるんですよね?

都甲:1号機だけ余剰売電なのです。廊下の照明など、共用部分の電気を賄って、残った分は東京電力さんに売っています。2016年4月からは、電力自由化が始まるので、東京電力から、再エネ新電力に売電先を変更することを検討しています。市民電力と新電力の連携で、消費者に再エネを直接届けることができる道を探ろうと思ってのことです。

一号機から二号機、三号機へ

―一号機以降は、どうやって活動を広げていったんですか?

都甲:2年間は広げようと思って色々情報集めとかをして回りました。「あそこの屋根いいよ!」て言われたら飛び込んだりとか。歩いて散策して、一つ一つ訪ねて。でもみんなダメダメって。市も協力してくれて、私たちが呼びかけたい地域に「こんな団体があるのでお話聞いて下さい」ってお手紙添えてくれたりとかしたんですけどね。

―市からのお手紙の成果はありましたか。

都甲:西武鉄道さんが話を聞いてくださったりとか、ほかにも市内の大学や福祉施設などにアプローチしましたが、実りませんでした。駅ならは、めだって、エネルギーシフトのシンボルになると思ったのですが。

―ではニ号機は?

都甲:2年の苦戦を強いられましたが、最終的には向こうから名乗り出て下さる方に巡り会いました。そうして動き出していたら、今度は三号機のお話もやってきたんです。
だから、二号機三号機は資金集めも一緒にしてます。二号機は10kW、三号機は13kWなんで合わせて900~950万円くらい。

―四号機はお隣の東村山なんですよね?

都甲:東村山は、ある企業さんが新しい工場を建てる際に「うちは地元の迷惑施設なわけだから、市民の理解を得るためにも、社会貢献的な活動をしたい」と考えて下さったそうで、それで一緒にやりませんかってお話がありました。一号機のごみ処理事業者さんがご紹介くださった廃棄物処理の会社です。
でもね、私たちは小平でってことだったので、東村山のお話はどうしようかなと悩みました。広域に取り組む組織「東京市民ソーラー」の事業にゆずろうかとも思いました。

こだいらソーラーの分かれ道

―東京市民ソーラーって?何故、会社?

都甲:ちょうどそのころ、市民がお金を法に則りながら簡便に集めることのできる機関投資家等特例業務(略して適特)という方法が規制強化で使えなくなりそうということで、使えるうちにその活用事例をつくって、お金を集めて、発電所を建てようという目論見で、市民電力のネットワークの仲間と一緒につくった会社です。
「その規制は止めて下さい!」って言うにしても、規制されるお金集めの方法を活用した活動事例がないと説得力がないじゃないですか?

―活動が東京都内に広がる訳ですか?

都甲:都内どころか、山梨や茨城、千葉などにもつくろうと。市内じゃない場所に作るとなると、どうしても市民のモチベーションは上がらない。一方、東京市民ソーラーの方は金融機関が噛んでることもあってリスクに関する評価が厳しくて、民間業者の屋根を借りるにしても、その会社が倒産したらどうするんだ?ってなる。
こっちはNPOならではの大らかなやり方で、ボランティア精神で屋根貸すよ!みたいな方とやって来たんだけど、そのやり方に大きな違いがあって。

―こだいらソーラーはこだいらソーラーの道を?

都甲:そうですね。東京市民ソーラーではやりきれない物が逆にいっぱいでちゃって。
でもやっぱり課題も多いです。今、五号機の話があって、障がい者のリハビリ施設を持っておられるNPO法人さんが屋根を貸して下さる計画が進んでいるんですけど、それが決まれば、またお金集めをしないと。でも、今現在、四号機までの借金が2000万円あるんですよね。

―NPOとしての借金が2000万?!

都甲:一号機400万から始まって全部で2000万円です。100人以上の方から借りてます。
   まとめて返す返済方法なので、まだ一銭も返せてないんですよね。一市民がお金を集めるのは大変だって知らないで始めちゃいましたが、やってみたら法律の壁やらなんやらがあって本当に厳しいんですよね。採算が取れる事業なので、順調にいけば借りたお金は返せるはずなので、皆さんの大事なお金を、志金として、活用してほしいと呼び掛けているとことです。

―最近色んなイベントに参加させて頂いて、こういう活動をされている方たちって平均年齢が高いなって感じるんですが?

都甲:協力者もそうなんです。そこもネックですよね、20年の長期事業なのに。自分たちの子どもがある程度巣立って行ってみたいな年代の方が多いんです。若い人たちも引き込まないといけないんですけどね。

―五号機はどうなりそうですか?

都甲:もちろん私はやりたいです。できるだけたくさんの市民発電所をつくりたいって(削除:来るもの拒まずのスタンスで)やって来たし、一号機の繋がりで四号機が出来て、三号機の繋がりで五号機のお話が動き始めている。捲いた種がようやく芽を出した感じなんです。全部が人の縁で繋がって、市民間連携が広がっているってことなので、そこに水を差したらいけないでしょって、これからも来るものは拒まずって、私は思っています。

これからの方向性と課題

―市民共同発電所作りを市民活動として進めるか、事業路線に行くか、方向性が別れてきていますよね?

都甲:ニ極化というか、若い人らの団体は事業路線に行きがちかもしれませんね。
でも、東村山の四号機の関係の介護施設からはお湯が欲しいって要望があって、それをたまエンパワーさんの協力をお願いしてたりとか、逆にエリア連携もとれ始めているんです。

―エリア連携が取れれば、展開も広がりそうですね!

都甲:でも、買い取り価格が下がったこともあるし、去年一昨年から始まる九電ショックからはじまるフィットバッシングの影響もあって状況は増々厳しくなってる感じです。
これでまた3円下がるから、24円になったら相当採算性が厳しくなる。ほぼ買う値段と同じですからね。

―投資する価値自体が無くなって来るってことですか?

都甲:そうですね。元々投資して儲けることを目的にやってないので、最後はもう寄付型に戻るのかもしれないですね。
でも、少なくとも作った発電所は20年間運営しないといけないので…私もいい年になって来たし、引き継いでくれる世代があればいいんだけど。
と同時に、やっぱり来るもの拒まずだから次も作らないといけない!まだまだやることはいっぱいですよ。

―都甲さん、貴重なお話を有難うございました。

始めは「小平中の屋根に置く」意気込みで、こだいらソーラーの活動を始めたとおっしゃる都甲さん。そこから様々な現実や問題に直面しつつも今でも20年先を見据えて活動を続けておられます。
その中で繋がった地域のエリアの連携が進めば、また新たな展開が見えてくるのではないでしょうか?私たちも自分たちが使うエネルギーの事を考える際、時には地域の一員としての目線を持ってみることも必要かもしれません。

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