#20  持続可能な生きた建築コミュニティカフェ Salon de AManto

ハピエネ取材班は大阪梅田に近い中崎町にある、迷宮のような長屋の中にあるコミュニティカフェSalon de AMantoに向かっていた。

今回は廃材を利用して長屋をリフォームしてギャラリー、カフェ、映画館、ヨガ教室、レンタルサイクル、本屋、barなど数多くの店を運営する代表のjunさんに話を聞いてきました。

そのインタビューの前編。いろいろ考えるヒントがジュンさんの言葉の中にありました。


AManTo 天然芸術研究所代表 Jun Amanto <プロダンサー>

ー それにしても面白いですね、生きてるみたいな家です!ここが本店なるんですかね。

Jun:そう、ここでやっていたイベント、芝居や映画も落語会もやりギャラリーも、全部やからね。それを独立させた感じでね。それぞれ専門の場所を作った感じやね。

ー この場所は全部全部手作りDIY。しかも廃材なんですよね。

Jun:材料は買わない、ここからゴミは出さない。出たら廃材をもう一度使って。昔の家なら出来るんですよ土と木と紙ですからね。 抜いた鍵も叩いて伸ばしてもう一度使えばいいですからね。持続可能な建築という人もいますね。

ー 何店舗あるんですか?

Jun:13あります。

ー えっ?!

Jun:向かいのギャラリーもそうやからね、あれはギャラリーやりながらレンタルサイクルをやってるんですよ。なかなか1業態では採算合わないからね。

ー 駆け込み寺のようにジュンさんところに来て、一応自立するきっかけをつかんだ人が始めたということですか?

Jun:うん、そうですね。

ー えっ、それもすごいじゃないですか!

Jun:いや、僕もいろいろ駆け込んで行ってたからね(笑。

— 今は逆に返す場になってるんですね(笑。 もともとはダンサーだっんですか?

Jun:もともとは役者志望で東映系のアクション養成所に行って立ち回りみたいなのをやってね、時代劇とかスーツアクターですよね。
いつかはメインになりたいなーと思っていました。でもバイト生活していたんだけど、オーディションって急にいわれもても行けないですよ。

ー 拠点は東京だったんですか?

Jun:いや、大阪です。

ー じゃ、余計に難しいですよね。

Jun:地方の巡業とかドサ廻りが多かったし、テレビの仕事は時々なんで。やっぱり僕は映画スターになりたかったんで。いかに東京に行かずに継続するか競争するところに巻き込まれたくなかったんですよね。

ー でも、大阪にも競争ありますよね。

Jun:はい、あります。そこでバブルが崩壊した時に上の代理店が受けれなくなった案件が落ちてくるわけですよ。そんなのをタレント会社だった僕らのところに企画ごと落ちてくるじゃないですか。

ー 制作会社になってきたわけですね。

Jun:そこで僕らにとってはチャンスなんで、なんでも勉強させてくださいってスーパーのイベントから始まり、そこでいろいろ勉強させてもらって、ある程度メンバーも増えて仲間の大道芸人とかパフォーマーを集めるようになったんです。今考えると、それで全国の町おこしや地域活性化の行政に呼ばれていくようになって、その辺の事がすごく詳しくなったんですよ。

ー いろいろ気づきがあったんですね。

Jun:そこで、思ったのは環境協会が思う地域活性化って全然違うなって。みんな自分ところが盛り上がるのが活性化なので、全体的に子育てしてる人も、ビジネスしてる人もいろんな人達がレイヤーがね共通したところで地域が豊かになるってことは、これはイベントやっていても無理だなって。僕が旅芸人していて、日本でも海外でもお世話になってばっかりで、その時は四畳半一間のトイレ風呂なしに住んでいて。それはほとんどいないから荷物を置いておくだけですよね。そんな部屋に暮らしていて、来てもらっても何も出来ないので、申し訳ないなと。世話になってばっかりなんで、世話出来ることをしたい。

世話になった人に恩返ししたい、もっと自分を見つめ直したい。

ー それは何年前ですか?

Jun:2001年だから15年前ですかね。海外でパフォーマンスした時に地域活性化っていうよりは、原点回帰で勉強しようと、それで日本人のコミュニティが残ってる場所を探して。でも芸人なんで、田舎は素晴らしいコミュニティがたくさんあるけど、お客さんが来ない。どっか都会の田舎ないかなってことで全国芸人をしながら探したんですよ。そしたら、青い鳥が大阪の梅田と天六の間に変な中崎町ってあったっけ。みたいな降りてみたら長屋ばっかりでここは面白いと思って。

青い鳥が教えてくれた場所

Jun:僕は日本人的な生活を勉強しようと思ったから、出来るだけ商業的なものがなにもないところ、つまり焼け残ったところの真ん中にこれを作ったんです。そうすると、こんな感じの手作りのお店が出来てくるんですよ。

ー さすがですね、いったい誰に教わったんですか。

Jun:それはお金がなかったから仕方がなかっただけですよ。

ー まずは生活者として入ったんですかね?

Jun:生活者というか自分の場所で小さなステージを作って小屋代かからない、まかない食べて餓死しない、2階で寝たら家賃がいらない。とりあえずエンタメに疲れたところがあって、自分のやりたい表現だけしたいなと、でもそんなわがままを聞いてくれる社長もいないわけで。

ー よっぽど売れてたら別ですけどね(笑。

Jun:だから、お客さんが3人でも4人でも大丈夫な場所を作ったんですよね。

Salon de AManto創成期の前編はここまで
次回はジュンさんの国内外の活動とその経験の歴史について。
Coming soon...

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