#67  ソーシャル風呂屋

平成生まれにはわからないでしょうが、昭和世代の小さいころは家に風呂がなかった。
必ずどの町内にも1つは銭湯存在していました。
その時代、公共浴場は街の人の生活時間の一部であり、地域の交流の場でもあり、大切な役割を担っていました。
今やどの家庭にも当たり前のように風呂場がつき、それとともに銭湯を訪れる人が減っていき、いつしか銭湯が消えていく・・・
しかし、今また銭湯がこれからの時代の“コミュニティセンター“として復活しようとしています。
“風呂屋” × “ソーシャル”を実践している「喜楽湯(埼玉)&tokyosento.com」の後藤さん、創業66年の銭湯「梅の湯(東京)」を経営している栗田さん(喜楽湯オーナー)を取材しました。

昭和の時代、銭湯は建てれば立てるほど儲かった。

栗田)うちの祖母祖父の代からもう66年ぐらい。昭和26年からかな…そのときにうちの祖父が、東北、石川の方から出てきて、「銭湯やるぞ!」と。

ー銭湯の歴史は明治時代くらいなんですか?

栗田)うちの祖父なので、そんなに昔ではないですね。それ以前がどうだったかと言うとわからないですけど、戦争前にあったものが、戦争でなくなり。戦後の復興の際に、かなりの数の人が東京に出てきてニーズが高まったそうです。うちのおじいちゃんたちの世代は、めちゃ儲かったらしいですよ。
だいたい、お風呂屋建てるっていうと何億とかかかるわけですけど、でも1カ月働けばもう一軒建てられるみたいな。

ー毎日超満員だったんですね。

栗田)毎日満杯に。はい。だって朝の4時とかまでやってたそうですよ。

ある日突然立ち上がった《東京銭湯》のWebサイトの取材が縁でもう一軒の
『喜楽湯』を風呂屋をやりたい若者にまかせてみる。
 最近の“お風呂屋さん”事情とは?

ー『喜楽湯』を任せているweb東京銭湯の後藤さんとはどういう関わりだったんですか?

栗田)僕もお風呂屋を継いで、いろいろ自分なりに挑戦しながら営業してたんですが、銭湯業界としても、もうちょっとやらないとと思っていた時にちょうどあのwebサイトが出来上がったんですよ。ぽんと突然。 梅の湯に取材にきたのが、数年前。いろいろ話していると「今までいろいろ取材いっぱい行ってきたけど、そろそろ銭湯やりたい」と風呂屋をやりたいけど入り口がどこだかわかんない!なんて話になりまして。
今の時代に運営をまかしてくれる銭湯を探すのは、結構大変でして、銭湯に出入りしている用具屋さんだったり、銀行なんかと繋がてないとその手の情報は回ってこないですね。
その時は、それだけだったんですが、しばらくして梅の湯の改装が終わって喜楽湯の営業をだれかに任せようとぴったりのタイミングがやってきたんです。

風呂屋は昔は地域のコミュニティのハブ、銭湯を媒体にして世代を越えた交流を。

ーその喜楽湯の後藤さんとお話してたときに面白いなと思ったのは、地域のコミュニティのハブになる、中心になるということを目指していきたいんですよとおっしゃっていて、実際にイベントもされてるじゃないですか。 栗田さんがやっている梅の湯も、地域とのつながりを大切にしてるんですか?

栗田)そうですね。本当にお風呂屋がすごい需要があった時っていうのは、存在してるだけで地域のハブ的存在に成り立ってたと思うんですね。それがだんだん衰退してきた、お風呂屋がそれをちゃんと受け入れられなくて、どちらかというと孤立していくというか。地域の中でもお風呂屋を知ってる人は知ってるけど、行かない人と行く人に綺麗に分かれ始めて、ハブ的存在じゃなくなってきています。
僕らくらいの世代くらいは小さい頃に行ってた、僕より10個若くなると行ってない人がどんどん出てくる。境目の年代なんですよね、たぶん僕らが。それを元に戻すというのは必要な気がするし、このお風呂屋だけじゃなくて、地域的な衰退具合を考えてもなおさらそういうのが必要だろうと思ています。

ーでもなかなかのチャレンジですね。銭湯を復活させるというのは。

栗田)銭湯自体はこの地域は比較的多い方なので、銭湯という存在はある程度認知されている地域ではあるんですが、商店街はすたれ昔から住んでいる人も減ってきています。昔から住んでる人たちにとっては、もうちょっとなんとかならないかなと。

ーさみしさはありますよね。

栗田)それこそ僕なんかは銭湯を通じて、今世の中で起きていることや世の中の変化や面白いこととかを、伝えれるんじゃないかと・・・
特に変わったことを仕掛けるのではなく、日常レベルで、新しいものを置いたりしています。
シャンプーとかもそうですけど、ドライヤーとかも新しいものを置いたりとかして
女性のところのドライヤーは、ナノイーになっているんですが、おばあちゃんが使って「これはすごい!」と。うちのドライヤーともう全然違う!欲しい!って。

ーで、ご近所の電気屋に案内するんですか?

栗田)型番と品番を店員さんに言えば、持ってきてくれますよーとか。そういうのがあって、やっぱり体験しないとわかんないことを風呂屋で体験できる。 そういうのを、若い人だけじゃなくて、うちに来る人には全員に知ってもらいたいと思っています。

ー世代間のギャップを埋める媒体としての銭湯ですね。

栗田)僕はそっちの方が面白い。若い人に向けてももちろんいいんですけど若い人たちに来てもらいつつも、逆に年配の人たちをもっと若くしたいな それで年齢が違う女の人同士が、ドライヤーについて語り合うとか。その中間に風呂屋がある。媒体ですよね。 それが、僕はすごくおもしろいんじゃないかと。どっちも、それぞれにあわせるんじゃなくて、銭湯に合わせてきてもらう。両方から。そっちの方がなんか双方にとって魅力があるというか。

ーイベント的なことは、実施しないんですか?

栗田)この間は、うちのカウンター(店番のフロント)のところにバーテンの人に来てもらってバーにしました。

ーお風呂あがりに飲んでいけるわけですか。

栗田)正直年配の人達がカクテルを飲むのかも分からないので、今回は比較的若い人たちに提供しようと。でもおじいちゃんたちが、飲んでいきましたよ。それこそ自分たちが若い時、40年位前にバー行ってたって人たちが、久しぶりに飲んでみるか!と。

ーコミュニティを熟成させるためにいろいろと仕掛けてますね。

栗田)喜楽湯の方も、スタッフが若いと単純に来てる人は若い人と話せる機会も増えるし

ーGoogleのマップのコメント欄見たら、モヒカンとロン毛の番頭さんが面白かったみたいなこと書いてますね。

栗田)それはそれで、似たようなことなのかなと。来てる人もどちらかというと若い彼らに近寄っているっていう。

銭湯で日常の暮らしを豊かにする方法を伝えていきたい。

栗田)今回バーをやったのも、バーのお酒ってめっちゃ美味しいんですよ。
お酒はそコンビニでも買えますけれど、倍の値段します。
バーのカクテルは物がやっぱり違うんですよ。お金もかかるけど、それなりの価値があるもので。
それを、今の若い人は知らないんじゃないですかね。
知らないでもちろん過ごす人もいるだろうし。
知ってて選ぶのと、知らないまま安いのだけを選び続けるっていうのは、意味がだいぶ違うと思うんですよ。

ー上質を知る、みたいなもんですよね。

栗田)500円するけど、風呂上がりのタイミングで、バーに行くのは多分大変ですから、ちょっとここで一杯飲んでみませんか?って。
そういう体験をしてほしいってのがあって。もちろんお金はかかりますけど、かかってもそれをこうカバーできる体験みたいなのが今いっぱいあるわけじゃないですか。
それを知るか知らないかっていうのはすごく大きいから、たまにそういう機会をまるまるこっちに持ってきちゃう。で、知ってもらって、それをきっかけに本当にバー行ってみようかなとか。
日頃毎日バーは行かないけど、週に1回は行きたいよって思う時とかっていうのは、そういうのを知らないとできない。お風呂もそうですけど、さらにお風呂に月に1回とか何回とかしか来ない、そのお風呂の良さをそこで知って、なおかつプラスワンでもう一個知らない物が体験できるっていうのは面白い。そうすると、もっと幅が広がるじゃないですか。

ー胸はって銭湯にいけますよね。

栗田)そういうのがあるといいなって。お風呂ももちろんありきですけど、そうじゃないものを何かを見つけに来るっていうのが、ちょっと面白いんじゃないかなーと思って、全然お風呂から関係ないこともやっています。

ちょっと分からないことがあったら“梅の湯”へ行こう!ってなるように

ー今の社会の情報の端っこくらいに触れることはできるわけですもんね。

栗田)今はね、知らないなら知らないで過ごせますけど、知ったら知ったでいろいろと面白いことあるんですよって。

ー変わっていくことを受け入れる面白さみたいなのですよね。いいですね。

栗田)昔は風呂屋が情報発信のかなり先を行ってたと思うんですよ。
広告が山程あって、そこがまた情報発信の場所だったのが、今はそうじゃなくなってる。
それがなんか、ちょっとさびしいなと思って。じゃあもう、知りたくなったら梅の湯行けばいいよね、って。たとえば何か世の中でブームになったものに関して、ちょっとわかんないから梅の湯へ行こうとか。そういう方向性になると面白いかなって。

ー一人で悶々としてるくらいやったら、梅の湯行って誰かとしゃべろかぐらいになってもいいわけですよね。

栗田)今世の中がどんどん進んでいくじゃないですか。それと一緒に行くしかないですよね。それを受け入れたうえで、その中で受け入れるものと捨てていく物を自分の中で持っておいて、これはなんか面白そうだなと。全然みなさんピンとこられないときもありますよ。

ーちょっとエッジが効きすぎて。

栗田)何これとか。あ俺だけか、これは俺だけかとか。 喜楽湯も似たような感じですよ。もともと彼らが感じてて、もともと彼らは利用者だったわけですから、もっとこうすりゃいいのにとか、それを具現化したいだけだったわけで。

ーあれはあれで、どんどん手が入って、彼らなりの表現の場として発展していくってことですよね。あれも面白いですよね。でもなんか、どっちも共通ですよね。そのコミュニティに対して、どういうふうな接点を広げていくか?、関係性を深めていけるか?みたいなアプローチが喜楽湯は喜楽湯、梅の湯は梅の湯でやっている

栗田)地域が違うわけですから、お客さんも、来てる人たちも違うわけで、一概にうちでやってたことを喜楽湯でとはならないわけですよ。

ー単純に、風呂沸かしといたらいいですわって商売では、もうないってことですね。

町の銭湯を舞台にコミュニティがあった。
銭湯をもう一度地域のコミュニティセンターに復活させる。
時代の変化とともに情報の出し方を変える、コミュニケーション方法を変える。
固定概念を捨ててその本質に沿った挑戦をしつづける。こんなところにも変化の兆しがありました。

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