#35  独立系 女史図鑑

好きなことや趣味で起業した女性をクローズアップ自分らしく豊かに生きる彼女たちから“私にも出来る”ヒントを探ろう!そんなコラムが始まります。
記念すべき第1回目のゲストは転職7回・安住しない直感系女史の中里希さん(ことり食堂店主)です。さぁ、私にも出来る”ヒントを探してみましょう。

神宮前には「ことり食堂」という居心地の良い小さなお店があります。
営業時間はランチタイムのみ。“誰かの家みたいな空間と、心と身体にやさしいご飯”を提供してくれるこのお店は、いつも常連さんで賑わっています。

お店の店主・中里希さんは、旅が好きな元バックパッカー。ご本人曰く、「何故か安住を避けてしまう」性質だそうで、なんと転職7回という異色の女史の持ち主です。

その中里さんが、どうして「ことり食堂」をオープンするに至ったのか?安住を避けてしまう性質なのに、なぜこの居心地のよさを実現してるのか?

いろんな疑問と興味が沸いてきます!

てか、ぶっちゃけ中里さんてどんな女性なんでしょう?
転職を7回繰り返すって、ちょっとハンパじゃないエネルーギーですよね?そして今は女性一人でお店の全てをやり繰りしていることも凄いです!!

その辺のお話は女史年表を掘り下げながら、中里さんの生き方含め、たっぷり伺わせて頂きましょう。

どうぞご一緒に女史年表をご覧ください。

◆女史年表

22歳 大学卒業後、旅行会社に就職(1年未満)

23歳 不動産会社の社長秘書に転職(1年半くらい)

25歳 派遣会社登録

26歳~29歳 以降、4回転職

29歳 建築デザイン会社の事務

30歳 ことり食堂オープン 
------------------------------------------ ★女史の決断ポイント
現在  ことり食堂4年目

◆女史年表インタビュー

22歳

―まず職場を次々に代えて来た経緯(いきさつ)から聞いちゃっていいですかね?
1回目の辞職は何があったんですか?

中里:新卒で入った会社だったんですけど…若かったんですかね。どうしても納得いかないことがあって、「じゃあ辞めます」て(笑)

23歳

―う~ん、では2つ目の不動産会社は?

中里:倒産しちゃったんです。そしたらもう仕方ないですよね(笑)

25歳

―3つ目の派遣会社ですよね?ここでどうして派遣会社ですか?

中里:単に友だちがやってる会社だったんです。この頃からもう正社員にはこだわらなくなってました。だって私自身が正社員でも安定しないことを立証しちゃってたんで。

29歳

―その後、4回の転職を繰り返したんですよね?これはもう割愛してもいいですかね(笑)

中里:そうですね。割愛しましょ!(笑)
私、やっぱり居心地が良くなるとダメなんですかねぇ?

―ことり食堂の前職は建築デザイン会社の事務ですよね?この会社で7つ目ですね。

中里:この会社は、凄く人に恵まれていて…この人たちの為に頑張って仕事をするのも楽しいなって思いながら働けるようになっていました。

30歳

―ことり食堂の年に辿り着きました。オープンはどんな経緯(いきさつ)から?

中里:この年に東日本大震災があったんです。
その影響で、衝撃を受けたというか…私、単純にご飯が食べられなくなったんです。
それで「食べることって大事だな」って食に興味を持ち始めました。
それまで料理も全然しなかったんですけど、作ることにも興味が出て来て…
そのことをBarで話したら、ウチの店でランチタイムだけやってみない?という話になって

―そんなあっさりした経緯なんですか?!

中里:はい、そうです。この時凄くいろんなことが重なってて…当時勤めていた建築デザイン会社からは、同じタイミングで正社員に誘われていましたし、別のお仕事の声も掛けて頂いてましたし…。

―そこでまた安定とは逆の選択をしてしまった訳ですか?

中里:何故でしょうね(笑)なんで始めたかは、きっと一生の謎だと思います。
そんな感じで始めたので、計画性ゼロのスタートでした。料理も全くしていなかったんで、当時は片栗粉と小麦粉の違いも分かってなかったですね。酷いでしょ?(笑)

―オープンしてから、相当大変だったんじゃないですか?

中里:初めの2週間はお客さんは呼ばずに、友人に来て貰いました。
最初はお弁当屋にしようと思ってたんですよ。 
でもみんなここで食べて行くから、じゃあ定食屋にしようかな…て。

―確かに、計画性ゼロですね(笑)

中里:「ことり食堂」って名前が決まったのも3カ月経ってからだったんですよ。
友だちが「そろそろ名前付けたら?」って。名前が出来たら、じゃあロゴも知り合いのイラストレーターさんにお願いしたいな、て。そんな感じでした。

―まわりの人に助けられつつだったんですね。

中里:率直なダメ出しをくれて鍛えてくれるし、応援して助けてくれる。
それに答えようと必死にやっている内に初めの1年は過ぎました。

現 在

―ことり食堂は今年で4年目ですよね?転職続きだった中里さんが4年も続けて来られたのは何故ですか?

中里:オープン当初と同じ答えになっちゃいますが、私の周りに人がいたからです。それで今に至ります。それでも今日を必死にこなして来た1年目と比べて、最近はやっとこの先に続くことも考えられるようになってきましたよ。

―先に続くことって?

中里:今は「誰に作りたいか?」に興味があります。食べながら生まれるコミュニケーションて、社会の中でとても大事な部分を占めると思うんです。その食の観点から『自分がおばあちゃんになった時に寂しくない社会』を考えたい。その為にやれることを、私は私の身の丈にあった方法で始めて行きたいです。


◆女史の決断ポイント
人生には、決断の瞬間が何回も何回も繰り返しやってきます。その瞬間を“女史の決断ポイント”としましょう。このポイントを逃さず、自分なりの決断を下せることが成功へ第一歩です。中里さんの女史の中で、そのポイントはいつだったのかを検証していきます!

女史の決断ポイント 30歳

なんといっても、ことり食堂オープンに踏み切った瞬間でしょう。
旅が好きで、体験から学ぶ経験を繰り返して来た中里さんだからこそ、
踏み切ってからの吸収も早かったのかもしれません。
もし、この瞬間にこの決断をしていなかったら・・・
たらればの話は意味がないといいますが、きっと今とは全く違う女史となっていたことでしょう。

◆成功の秘訣
女史の成功の秘訣を聞いてみます。


―中里さんの成功の秘訣は何ですか?

中里:無駄な宣伝や持ち出しがほぼなく、余計なお金を使わなかったこと。
余計なこだわりがないこと。
ですかね。仕事に期待していなかったので(笑)

【まとめ】

安住しない生き方を選択して来た中里さん。けれど、そこに頑固さがあったからこそ、自分のやり方をみつけ、自分の場所を作り上げられたのではないでしょうか。そして今は、この先の歩みたい道も見え始めている。

中里さんは、ご自身の経験から、体験から学ぶことの多さを知っています。なので「街の中に学びがある」という考え方の元、色んな人が集まれる場所や食、そしてそこで生まれる学びを提供したいとおっしゃっていました。

“自分に素直に、直感に従って生きる”それには、きっと強さとエネルギーが必要です。

中里さんは7回の転職の末に今に辿り着きました。
中里さんのように自分が本当にやりたいことや、自分の求める本当の場所に行き着くために必要なことは、その強さを自分なりのスタイルで貫くことかもしれません。

中里希
ことり食堂店主。カウンターで隣り合った人と会話がうまれる誰かの家みたいな空間と、お母さんのつくってくれたようなご飯が食べられるお店を目指して、日替わり定食を出す食堂を営む。 栃木県出身。

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