#36  政治学者 栗原康さん

栗原康さんは、政治学者で、研究対象は、アナキズム。主に大杉栄や伊藤野枝など大正時代のアナキストを専門とする。今、この現代社会に足りないものは何か。アナキズムの視点から、語ってもらった。

もっと暴れていい

―今日はよろしくお願いします。最近、デモが日本でも一般的になってきていますが、栗原さんはどうお考えですか。

栗原:街頭でさわぐのは意味があると思うんですけど、政府や警察、企業がやっていることに本気でしたがわないという意思をどこかで見せつける必要がある。昨年のSEALDsのようなデモだと通じないと思うんです。結局、人数を集めて政府に圧力、最後は選挙です。あれだと安倍晋三は怖くない。数の論理にはつよいから。考えてみると、二〇〇八年六月にあった釜ヶ崎の暴動なんかは凄かったですよね。うごきがよめない。なにを要求するわけでもないのに、とにかく敷石をはがして、警察にガンガン投げつける。石がなければ放置自転車を投げつけたり。ただただ、もう怒りが爆発しておさまらない。そこまでいくと、権力も怖いですよね。

―僕は、SEALDsのメンバーに生きづらさを全く感じなかったんですよ。あの人たちは普通に就職活動したら大企業に就職できる人たちなんですよ。

栗原:たぶん、がんばってうごいて、はたらいて、他人にみとめられたいという欲求がつよかったんでしょうね。もともと、仕事って自分がどれだけ使えるやつか、自分の有用が問われている。だから逆に、はたらかなかったり、体を壊してはたらけなかったりしたら、おまえは無用なやつだと言われてしまう。「はたかざる者食うべからず」という言葉があるじゃないですか。僕、あの言葉大嫌いなんです。もっともらしいこと言っているけど、使えないやつはいらないって言っているわけですからね。デモでたくさんひとを集めたり、会社でたくさんカネを稼げたりしたら使えるやつだ。それができなかったり、邪魔したりするやつは無用なやつだ、この社会から排除しろということです。ひどすぎる。

管理社会が一気に始まった

栗原:近年、マイナンバーや、個人情報保護、監視カメラなど管理社会化が一気に進みましたよね。

―昔のプロ野球年間とか見ていたら全部住所載ってますからね。坂口恭平さんなんて自分の電話番号載せてますから。

栗原:自分のやることなすこと、身ぶり手ぶりから情報発信にいたるまで、ぜんぶ国家につつぬけになるということです。こいつはこの社会にとって、有益か無益か、安全か有害か。そういう判断が、たえずオンライン状態で下される。マイナンバーとか拒否しても、それはそれでブラックリスト化されて危険視されるし。でもなにより怖いのは、市民を名のる連中が、さっきの仕事やデモみたいに、ひとを使える使えないで判断していることです。自警団みたいですよね。

―電話番号公開しようかな。栗原さんは今後日本社会に望むことはありますか?

栗原:社会がいらないとか(笑)。あっ、あとタバコをどこでも吸わせろとかですかね。ひとって恐ろしいもんで、タバコは喫煙所で吸うものだって決まると、そうしなきゃいけないみたいと思うようになってしまう。禁煙条例とか出た頃って、まだ監視員がいっぱいいて、吸うと罰金取られるから気をつけましょうというのはありましたけど、今はいないときでも、自然と喫煙所にいってタバコを吸ってしまう。そこで吸うのが当たり前みたいな感覚があるんですよね。自動的に人が機械みたいに動いてしまうんです。

―体が強制されるというか、いろんな装置で体が強制される。

栗原:無意識のレベルで従っちゃってるっていう。

―それが凄い年々多くなっていっているというのがありますよね。身体的に縛られている。

栗原:そういうのを1個1個崩していくっていうのが大事な気がします。この前、松本哉さんと対談したんですけど、おもしろいと思ったのが、電車のイメージを崩そうとしていたことです。どうしても東京だと電車って、満員電車とか仕事にいくためのものっていうイメージがありますよね。だから、松本さんたちは年末から年始にかけて、山手線が一日中ぐるぐるしてるから、そこで深夜飲み会をやっちゃおうぜっていって、酒持ち込んでみたら、普通におっさんとかと仲良くなって居酒屋状態に。暖かいし、フワフワのソファーみたいのもあるし。もしかしたら、それを見た人って、その後、電車に乗る感覚が変わるかもしれませんよね。ああ、こんな使いかたもあったのかと。

みんな変態になればいい

―皆どっかで変態の部分を持っているんですね。それを恥ずかしがらず隠さずにたまにチョロっと出してみると。その変態を出してみる=それが人間らしさでもあり、出したことによってまた人とつながりが生まれたり。

栗原:そうですね。

―そこからまた新たな可能性の扉が開かれる。

栗原:きっと1回やってみれば、それだけで変わります。見にいくだけもいい、野次馬でもいいと思うんですけどね。

―おっさんが作ってるんですよ。監視社会を。俺たちの我慢と辛抱で築き上げてきた社会なんだよみたいな感じですもんね。

栗原:いま、おっさん批判をしようと思ったんですけど、僕ももうおっさんであることに気づきました(笑)。

―とはいえ、老害としか言いようがない。やっぱり変態万歳で行かないとダメですね。

栗原:本来、「変態仮面」を受け入れている社会ですからね。

―働けないっていう人もいるわけですよね。精神的な疾患とか。そこの部分をなんかあいつはダメだとかってラベリングするんではなくて、それも含めて大きく包んであげるというか。

栗原:そうですね。

―それいいですよね。そしたらほんとに多様性のある、ダイバーシティっていろんな政治家も言っている社会になるわけですよね。そんなんおまえの言っているような規格内に収まる製品ばっかり並んでてダイバーシティって言うなよっていう。

栗原:いま言われている多様性が、ぜんぜん多様じゃないっていうことです。ここでは多様な商品を買えますよ、それはハッピーなことですよ、と言っているのと変わらないんじゃないかと。その時点で、はじめからシステムができあがってしまってるんですけどね…。たとえば車の種類を変えたって、おまえそれ車だろっていう。もし本当に多様な生きかたをするというのなら、どこからともなく廃車でも拾ってきて、こりゃいい空き家だとか言って住みはじめるとか、そういう感じですよね。とりあえず、変態に開き直るところからはじめましょう。

―その変態コミューンの中で生きて行く術がまた見つかってくると、凄く自分は水を得た魚のように居心地のいい環境が実現しているんじゃないかということですね。それをみんながやり出せば気が付いた時には、シーソーのようにゴトンと社会が。

栗原:気づいたら、自分の身のまわりが変わっている。

―1人でできる革命ですよね。

栗原:きっと、また違う変態が身近に現れたら、こんな変態もあるのかと気づきがあるはずです。変態につぐ変態、そしてさらなる変態へ。できましたね。

栗原康(くりはらやすし)
政治学者。アナキズム研究で頭角を現し『大杉栄伝』(夜光社)で「第五回 いける本大賞受賞」「紀伊國屋じんぶん大賞2015 第6位」など賞を総なめした。近刊に『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店)など。

INDEXヘ戻る

Follow us!